エッセイ「壷庭の起源」・・!

遊悠人

2013年05月28日 11:26


  月に一度連載の遊悠人のエッセイ・・
今月は、「壷庭」の起源について書いています。

紙面文面を下に全文載せておきました。
ご覧下さい・・










                壷庭の起源
                             文・写真/照屋寛公
 高校時代、古典の授業で『源氏物語』を読んだ記憶がある。その登場人物の中に桐壺や藤壺という女性が出てくる。当時は、特に気にもしなかったが、建築の設計の仕事に携わっていると「壷庭空間」をいつしか、設計に取り入れていた。その壷庭と、物語の登場人物に頻発する「壷」とは関係があるのか気になって少々調べてみた。
 一説によると、以下の起源があるらしい。当時の宮中は広く、建築もその用途に応じて幾棟かに分かれて複雑に構成されていた。それらの建築を結ぶ渡り廊下で区切られた庭のことを「壷」と呼んだというのだ。そこに植えられた植物からその場所を藤壺とか桐壷と命名され、それが今日の坪庭の起源という。そして御殿を与えられた女性が「藤壺」「桐壺」と呼ばれるようになったらしい。その後、その庭は茶室に付随する庭を差すようになり、茶室に至るこじんまりとした静寂な露地空間も坪庭と呼ぶようになった。当初は壷庭と表記されて、後に坪庭と書かれるようになったようだ。
 さて、今日の市街地ともなると土地が狭い上に隣家双方が境界線ぎりぎりまで迫り家が建てられている場合が多い、そこで登場するのが坪庭である。
 写真は筆者が設計した石垣島の住宅。この家は敷地の一角に庭を設けるのではなく、玄関アプローチに始まり、和室・廊下そしてトイレに至るまで、住まいの随所にその場に応じた程よい坪庭空間が設置されている。そのお陰で家の色々な場所に光・風を取込めるようになっている。同時に緑空間のそのシーンは来客・住人の目を楽しませてくれている。そのお陰で灼熱厳しい石垣島の夏の時期、冷房にほとんど頼らない快適な家が実現できて喜ばれている。
 小さな空間ながら、目を楽しめ・光・風を取込む仕掛けの坪庭は、平安時代にまでその起源をさかのぼる。この坪庭が、平成の今日でも暮らしに生かされ重宝されているのは、快適なエコ空間を追及する人間の想いが時を超えて共通しているからなのかもしれない。
          (建築アトリエ・トレッペン代表・建築家)


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