遊悠人自宅が新聞紙面に・・!

遊悠人

2013年04月26日 12:06



遊悠人は、月に一度新聞紙面で
エッセイを書いている・・。
かれこれ、スタートして12年ほどなるか。。

今日のタイムス住宅新聞に掲載されている
今回は、遊悠人の自邸が写真として載っている
築17年経つ家がどのように変化してきたかを知る上でもちょっと興味深い内容になっているかも。。

ご一読くださいな


         つくり過ぎない建築
                              文・写真/照屋寛公
 週末、朝のテレビを見ていたら片岡鶴太郎が出ていた。俳優、画家そしてボクサーと色々な顔を持つ彼が、石垣島を旅していた。
旅では島の色々な文化に触れる場面があって、公設市場で初めて見たのが沖縄の県魚であるグルクン。
 薄紅色のその色合いに画家の持つ感性を刺激してしまった。公設市場の前に小さな椅子設置し、ついにクレヨンを取り出して実物のグルクンを見ながら描きだしていた。
鉛筆でさらっとスケッチを描き、親指にクレヨンを軽くこすりつけて、まるでスケッチのグルクンをなでるかの様に、色を重ねていた。ほんの数分でピンク色にほんのりとした緑色の軽いタッチのグルクンになっていた。
 仕上がったグルクンを前に彼が興味深いひと言、自分は絵を完全に仕上げるのではなく、七分目くらいで絵を仕上げているというのだ。残りは見る人が自分の感性で想像すれば良いと。
住まいづくりでも同じことを思っている。家も最初で全て完璧に作り上げてしまうと、意外に使いづらい家になってしまう。
空間を壁・ドアで仕切ってしまうと将来のライフスタイルの変化に柔軟に対応ができず、住みにくい家になってしまう。当然ながら、その方がローコストにも繋がる。住宅は使い手である家族構成が変化するところに公共建築との大きな違いがある。その都度間取りが変化できるようにした作りが、暮らしやすいのだ。
 また、少々住み手が手を加えられる余地を残しておいた方が、その家の個性や特徴が出せるのではないだろうか。住まいとして暮らしに困らない程度でまた新築段階ですべきことを設計すれば、それで設計士の仕事は終わりにした方がいいような気がする。
写真は、筆者の自宅アプローチである。完成当初は隣家も建っていない、一七年も経つと近隣・街も変わり同時に庭先の木々も生長してくる。季節ごとに咲いてくれる草花を楽しめるようになっている。
 庭先は、通りを歩く人の視線も意識しながら楽しめる空間、ヨーロッパの住まいを見ているとその想いを一層感じる。絵も住宅建築も少々楽しみの余地を残しながら作りあげる方がいいと思うが、いかがだろうか。
   (建築アトリエ・トレッペン代表・建築家)


↓ 今日もクリックありがとう

関連記事